前回は英国国教会のあらましを
お話しました。
今回は、ざっくりとしたその成り立ちと歴史を。
とは言え、英国の歴史に触れる部分なので
それなりにボリューミィ。



■英国国教会の成り立ち

で、その英国国教会。そもそもの成り立ちはなんでしょうか。


時はヘンリー八世の治世。
彼はキャサリン・オブ・アラゴンと婚姻を結んでいました。
元々キャサリンはヘンリー八世の兄アーサーと婚姻していたのですが
七か月の後アーサーが急逝。
英国側は、莫大な持参金と共に嫁いできたキャサリンを手放すことが惜しく、
ヘンリー八世と結婚することとなります。
しかもキャサリンは
スペイン王国および神聖ローマ帝国の支配者カール5世※スペインではカルロス一世の叔母
でもあるわけです。
因みに、キャサリンは
統一スペイン王国を結婚により誕生させた
アラゴン王フェルナンド二世(カスティーリャ王フェルナンド五世)と
カスティーリャ女王イサベル一世の末娘です。


そらぁ手放したくないよね。
(実はその間に、ヘンリー八世の父親が後妻に求めたりもしてた。何歳だよ図々しいw)
この時、短い間ではあってもアーサーと婚姻関係を結んでいた為
ローマ教皇に特別免除をもらいました(※)。これが後程火種になります。

※旧約聖書レビ記に「兄弟の妻を娶るのは汚らわしいことなんだよ〜」という
一説がある為。


二人の間に満足に育つ王子はいませんでした。
※キャサリンは敬虔なカトリックだったので、妊娠期間であっても四旬節(キリストが
囚われ磔刑になり、その後復活するまでの期日)の間に断食をし、それが死産や
流産につながったとも言われています。


やがて、キャサリンは王女メアリーを生みますが、
ヘンリー八世は薔薇戦争(
イングランド中世封建諸侯による内乱)から間もない治世に、正当な世継ぎという確固たるものがないと
他の強力な貴族たちが、王位継承の正当性を主張してくる不安があり、王子を世継ぎに望みます。
また、薔薇戦争では、王妃達による反撃に次ぐ反撃などがあったため
女王による治世に、嫌悪を生む可能性もあったのです。
(どうでもいいけど、薔薇戦争の頃の話であるマリーブランシュに伝えてっていう漫画がおすすめ)


元々浮気性なのか、ヘンリー八世には多くの愛人がいました。
(まあ子孫を残す王様であれば、そこまで不自然ではないケド)
キャサリンの侍女メアリー・ブーリンの間にも子供はいましたが、認知はしていません。
多くの世継ぎによる権力争いを避けるためでした。
いつまでも王子を生まないキャサリンに業を煮やし、
ヘンリーはメアリー・ブーリンの妹アン・ブーリンにも手を出します(姉妹丼とは節操ねぇなオイ)。

ところが!

このアン・ブーリンは姉のように愛人でおさまることを良しとしませんでした。
正式な妃になりたいと言い出したんですね。
侍女とは言え立場的には爵位のある家の出のアン・ブーリン。
(王室の侍女なのでそもそもそれなりの立場ではあるのですが)

ただし、彼女の曽祖父は農家の出身で、つまり四代前までは平民でした。
曽祖父は上京し財を成してロンドン市長へと上り詰め、その後代を重ねながら次々と
婚姻などにより爵位や領土を得ていきます。そうした血が、アン・ブーリンにも
確実に流れていたのでしょうね。

ここでヘンリー八世とキャサリンの婚姻の際に、ローマ教皇からの
特赦が出ていたことが絡んできます。

カトリックは離婚を認めていません。なので、もしアン・ブーリンと婚姻をする為には
キャサリンとの婚姻の「無効」を成立させなければならないのです。
ですが、教皇側はわざわざ特赦を与えた結婚の無効を申請されても
ハイソーデスカ良イデスヨ、とも言えないですよね。
勿論そこには他にも、キャサリンの甥である神聖ローマ皇帝カール五世
西ヨーロッパの統一とカトリック世界の構築という思惑

などもからんだ国と国を結ぶモロモロが垣間見えますが、
その辺掘っていくときりがないので、とりあえずこんな感じでNGを
ローマ教皇から出された、と思ってください。

そこで、ヘンリー八世は「え、じゃあいいよ。お前らとはもう縁切るもんね!」
イングランドのローマ教皇からの分離を宣言します。
※最初はどうにかOKもらおうと頑張っていたのですが、全然駄目だとわかると
古い文献とかを持ち出して、神様の元での優位性(霊的首位権)は王であり
教皇の首位権は違法であるという論文をまとめて、なんと教皇に送付したのです。
行動力のあるインテリって感じですね〜。


ここでついに英国国教会の誕生です。

とは言え、ヘンリー八世は、アンチプロテスタントのラブカトリック
プロテスタントを攻撃する論文なんて発表しちゃって、
教皇レオ十世から「信仰の擁護者」(Defender of the Faith)という称号を与えられてました。
しかもそれを嬉しそうに誇っていたそうです。
因みに、その称号は今も英国の法律により、
エリザベス二世(英国国教会首長)に引き継がれています。


分かれたのちも、どうにかカトリックとは良い関係を復活させようと
ちょいちょい試みていることも付け加えておきます。
ここに、英国国教会が簡単にプロテスタントと言い切れないところが一つあるのですね。

英国国教会はとてもカトリックと似ています。
教義も、その祭礼も。
今現在、聖公会の中でも典礼を重んじるハイ・チャーチ(アングロ・カトリック)と
呼ばれる系統があります。
聖公会の中で、女性の牧師を認める等々の動きがある中で、その系統の信者が
カトリックへと流れている(カトリックの方でも受け入れている)事象があり、
それほど、アングリカンとカトリックの差異が大きくないと
考えられもします。
(ただし、ハイ・チャーチと同様にロウ・チャーチ、ブロード・チャーチなどなど、
他の流派の考えを強く受け継ぐ派閥も多くあります)


ともあれ、その後は国内の聖職者達が教皇への上告権を放棄し
王権の庇護下に入ることを宣言するなど、英国国教会が形作られていきます。

その後、ヘンリーは教皇パウルス三世により破門されました。
まあもう英国国教会の首長だから関係ないけどね。
キャサリンはアーサー(ヘンリーのお兄さん)の未亡人という扱いとなり
妃のポジションには、アン・ブーリンがおさまります。
これがその後の英国国教会及び英国の運命を掻きまわしていくのです。

ここまでを纏めると……

王「キャサリンゲットしたは良いけどさぁ、全然子供産んでくれないじゃん」
キャサリン「えっ、まって、産んだじゃん! メアリー産んだじゃん!」
王「でも今欲しいのは王子なんだよね」

キャサリン「頑張るからさぁ」
王「でもお前もうムリポでしょ。チェンジチェンジ! お前の侍女のアン・ブーリンいいじゃん」
アン「あ、まって! 私愛人とかムリポ」
王「んじゃ、キャサリンと縁切りすっから待ってて」
ローマ教皇「何勝手なこと言ってんだよ」
王「いいじゃんいいじゃん。離婚っつーか、結婚してなかったことにしよ? そうしよ?」
ローマ教皇「そんなん許せるわけないじゃん」
王「は? じゃあいいよ。お前とは絶交な。こっちで勝手に宗教作るから」
アン「ふふっ。んじゃキャサリンはバイバイ。私が正妃ね〜」

ってかんじ。

■再び英国がカトリックへと戻るまで

キャサリンの娘メアリー王女は、キャサリンの立場の変化により
王女(プリンセス)から庶子(レディ)へと落とされます。
アン・ブーリンが生んだエリザベスが世継ぎとされ
(えっ、男子じゃなくて良いの?!)王位継承権もエリザベスの下へと下げられ
さらにはエリザベスの侍女にさせられます。
結構凄絶。
アン・ブーリンの一人勝ちっぽいのですが、
なんと彼女も結局王子を生むことができません。しかも勝気&頭脳明晰で
政治に介入しちゃってたもんだから、敵をたくさん作ってしまっていました。
さらに、メアリー(キャサリンの娘ね)も成長して
キャサリン派の支持者がアンチアン・ブーリン派と結託し始めています。
その為、最終的に王子を生むことなく流産をしてしまった後
なんと冤罪(姦通罪、近親相姦罪及び魔術を用いた罪←時代が……)で
ロンドン塔で処刑されてしまいました。
今でもロンドン塔ではアン・ブーリンが彷徨っていると言います。


これで再び独身に戻ったヘンリー八世は、アン・ブーリンの侍女また侍女かYO!
ジェーン・シーモアと結婚。エドワード王子を産みますが、産褥で亡くなってしまいます。
エドワード王子の王位継承権を守る為、ヘンリー八世はエリザベス(アン・ブーリンの娘)も
庶子に落とし、メアリー、エリザベスの王位継承権を共に奪いました

その後二人の妻を迎えますが、すぐに離婚(一人は平和裏に、もう一人は処刑)。

そうして、最後にキャサリン・パーという裕福な未亡人と結婚します。
彼女はとても聡明で教養の深いプロテスタントでした。
メアリーとエリザベスを手元に呼び寄せ
さらに庶子の身分から王女へと戻し、
養育をしエドワード王子の下位ではありますが

王位継承権を復活させたのです。

やがてヘンリー八世が死去し、息子エドワード王子がエドワード六世として、九歳にして
王位継承をします。彼の治世の中では英国国教会の礼拝統一法や共通祈祷書の発布などがあり
英国国教会の脱カトリックが進みます。

しかし、そのエドワード六世も死去。すったもんだの末、
最終的に王位継承権二位のメアリーが
女王の座に就きます。
※間にもろもろありますが、割愛

このメアリー女王。実は、敬虔なカトリックだったのです。
この時、英国は脱カトリック路線です。

さあ大変!

まとめます。

アン「ちょっとメアリー。あんたもう庶子なんだから、うちのお姫様のエリザベスの侍女やんな」
メアリー「ひどいっ!」
王「なんだ、でも結局アン・ブーリンも女しか産まないじゃん」
アン「えっ、でもエリザベスに王位継承権くれたじゃないの」
王「ヽ(`Д´)ノウルサイゾ! お前ウザいから処刑するわ。これで再婚できるし」
アン「お前を呪ってやるうううううう」
王「あ、エリザベスも庶子にしとこっと」
エリザベス「ちょっ! これもうお父様に男種ないんじゃ……」
王「一人エドワード王子できたもん! ワシのせいじゃないもん!」
エドワード「お母様死んじゃった……」
王「何人か奥さん変えたけど全然ダメポ」
キャサリン・パー「子供少ないんだから纏めて王位継承権つけて面倒みちゃるわ」
メアリー「お父様が死んでエドワードも死んで逆転勝利! 今だわ!」


■ブラッディメアリー

さて、辛酸を舐めまくった女王メアリー一世
エリザベスのことが大嫌いでした。
そりゃそうですよね。
王女だったのにいきなり妹の侍女にさせられちゃったりしてたわけですもん。
ただ、それだけではありません。
メアリーは母親のキャサリン・オブ・アラゴンと同様の
カトリック教徒でした。
キャサリン・オブ・アラゴンは神聖ローマ帝国の皇帝の血筋ですから
そりゃあ敬虔なカトリックです。
そしてメアリーも。
でも、母親のキャサリンと離婚するために、英国はカトリックと
袂を分かったわけですよね。
英国国教会憎し!
そしてエリザベスは英国国教会の信徒でした。
そりゃあWで憎し! 今ならポイント二倍! なわけです。

メアリーは英国をカトリックの国に戻すべく
再度宗教改革を行います
その過程で女子供を含む約300人を
処刑したと言われ、
その為に「ブラッディメアリー」と呼ばれます。

カクテルの「ブラッディマリー」はこのメアリーのことを指しています。

カトリック国に戻るべく、
彼女は母方からスペイン王家の血を引く身分を利用して、

従兄にあたるスペイン王太子フェリペ(後のフェリペ二世)
結婚をします。これは、イギリスの独立性を揺るがすものと
国内からは反対の声があがりました。
その反対の旗印に、本人の意図があるかないかは定かではないのですが
エリザベスの名が使われたのです。
そんなようなことが幾度かあり、エリザベスはメアリーの命により
ロンドン塔に収監されてしまいます。
エリザベスは、一年近く監禁されていましたが、生きてその塔を出てきました。

メアリーはエリザベスを憎んでいたのですが、
彼女がカトリックへと改心するのであれば、命は助ける、と
言ったとか言わなかったとか。

フェリペとの結婚生活は実質的には続かず(フェリペはすぐにスペインに帰っちゃった)
メアリーは懐妊したかと思われたが、実は卵巣腫瘍のせいで
腹部が腫れ上がっていただけでした。
やがてそれが原因で彼女は亡くなります。最後まで後継者がいなかったため、
王位継承はエリザベスでしたが、死の床にあっても首を縦に振らず、
死の前日になり漸くエリザベスを後継者として、指名したそうです。
メアリーの命日(1558年11月17日)はその後200年間に渡り「圧政から解放された日」として祝われました。

メアリー「あー、ほんと嫌な思いしかしてないわ」
側近「これというのもアン・ブーリンとプロテスタントのせいです」
メアリー「本当にそうだわ! この国を再びカトリックに戻さないと神に認めて頂けないわ!」
側近「その為にも、スペインの王と結婚しましょう」
メアリー「それがいいわね。ああそうだわ、反乱軍がエリザベスとか名前言ってたからあの子投獄しといて」
エリザベス「ちょっと私だって王女なのよ! こんな扱い」
メアリー「ヽ(`Д´)ノウルサイ! あんたがカトリックになるなら許してあげるわ」
エリザベス「私は英国国教会の王の娘です( ー`дー´)キリッ」
メアリー「ホントムカつくわぁ……うっ(バタリ」
側近「女王死ぬ前に後継者を指名してください。一人しかいないから!」
メアリー「c(`Д´と⌒c)つ彡 ヤダヤダ」
エリザベス「さっさと指名せんかい! こちとら、わざわざ信仰を捨てないで、正統性を残しておいたのよっ」

こんな感じでメアリーの時代が終わります。

■英国国教会を安定させた稀代の女王

ついにエリザベス一世です。
英国の歴史の中で、燦然と輝くその名前は、テューダー朝最後の統治者としても
その名を刻まれています。

エリザベス一世の統治については本筋ではないので
ここでは譲るとしますが、
メアリーから国を受け継いだエリザベス一世が最初に行ったことが
「国王至上法」の発令でした。「礼拝統一法」を発布
英国国教会を国家の主柱と定めます。
つまり、これはこの国(及び植民地)に於いて、神様の次に偉いのは
王権であるということです。

簡単にその流れをまとめます。

・エリザベス一世の嫡出性
カトリック、及びプロテスタントの法によれば、厳密に言うとエリザベスは庶子となります。
ただし、英国のプロテスタントに於いて庶子であると訴求される危険性は、
カトリックにより庶子と宣言される危険性に比べれば低いものでした。
その為、エリザベス一世がその本心に於いての信教とは別に於いて
プロテスタントの思想を受け入れている必要がありました。
つまり……

女王「やっば。カトリックからあんた庶子でしょ、って言われちゃうわ」
側近「陛下、英国国教会ではそんなこと言わないっすよ」
女王「ですよね〜。んじゃとりあえず英国国教会でいこいこ」

ってことで。

・十字軍
カトリック国にとっての異端である英国への十字軍遠征の可能性(脅威)を
エリザベス一世及び枢密院は自覚していました。
その為、できうる限りカトリックを刺激せずに
英国国教会を軌道に乗せる解決法を模索します。
この事由により、ピューリタン思想という急進的な改革を求める思想には寛容に
なれませんでした。国家を揺るがす十字軍遠征を、引き起こす可能性があるからです。
こういった事が背景にある事も手伝い、
元々カトリックとの和解を最後まで模索する
程度にはカトリック信徒であった
父エドワード六世の興した、
カトリック要素の多い英国国教会の教会法は、
よりカトリック要素を残しつつ
制定されていきました。

この国王至上法は、庶民院には支持されましたが貴族院(特に主教たち)から
強い抵抗を受けます。
そりゃそうですよね。自分たちの権威が下がるわけですから。
これを乗り切れたのは、カンタベリー大主教を含む主教管区(その地域のリーダー的な
教会、って思っていただければOKです。小さな神社を取りまとめる、地区の神社的な
アレです)の多くが空席であったので、自分の息のかかった人を
その座に据えることができたからです(=多数決で勝てた)。

で、勝てたのですが、エリザベス一世が聡明であったのは、
自身が女性であることによる抵抗感を減らすため、「首長 (Supreme Head) 」という
名称ではなく、「最高統治者 (Supreme Governor)」という称号を
取り入れたことです(取り入れざるを得なかった)。
最高統治者のが強そうなのにね、というのは日本語訳のせいですねw


まあ、国王至上法施行の後は、最高統治者の王への忠誠誓約を行わない役人は
資格をはく奪しちゃってるわけですから、
けして日和ってるのではなく、立ち回りがうまいのでしょうね。
(晩年は牽引力も下がっていったそうですが)

礼拝統一法発布(国教会礼拝の桟かと聖公会祈祷書の使用を必須とする法令)と共に
同時に異端排斥法は廃止され、
国教への不参加不使用への罰則も厳しくはありませんでした。

女王「とりあえず、英国国教会を安定したものにしないとマズいわけよ」
主教「カトリックを刺激したら、我が国を攻撃してきますよ!」
女王「だからあんまりプロテスタントです、って感じにするのはやめよ」
主教「じゃあ私たちに主権を残し」
女王「それはやだ。王様が一番エライってのは絶対だからね」
主教「そんなの大反対!」
女王「じゃあ多数決しましょ。こっちには票があるから」
主教「くっそ! くっそ!」
女王「その代わり、名前は控えめに最高統治者ってのにしとくわ」
カトリック教徒「あの、信仰変更したくないんですが」
女王「一応決まりだからダメだけど、あんまり罰とか与えないからこっそりやっといて」


■エリザベス一世以降

エリザベス一世の後即位したジェームズ一世は、国教会及び王権神授説を強く主張。
王権神授説とは、王権は神によって与えられ、地上における権威は王の許にある、
という主張です。
それにはプロテスタント諸派から反感を持たれてしまいますが、
欽定訳聖書=国王の命によって翻訳された聖書ということ。
複数ありますが、単に欽定訳聖書と言う場合、
ジェームズ一世による1611年刊行のものを指します
)を出版するなど

宗教的な貢献も大きかったようです。

この欽定訳聖書は英国国教会の典礼で用いる共通の聖書とするように
作らせたものでした。現在でも、口語訳になっているこれを愛読する人が多いそうです。

さらに時代は下り、チャールズ一世の時代には
英国国教会をスコットランドにも教化しようとし
そこからピューリタン革命がおきます。
聞いたことあるね! ピューリタン革命。清教徒革命です。教科書で
名前だけは聞いたことあるあるだよね!
ピューリタン思想は民衆の心を掴み、やがて市民革命となります。
すったもんだの末、国王チャールズ一世はバンケティング・ハウスの前で
王族にも関わらず、公開処刑(斬首)
され

反乱者オリバー・クロムウェルが護国卿となり、その治世が始まります。
が、その政は僅か五年で破綻。
王政復古により、再び英国国教会派が息を吹き返します。
最終的に清教徒革命は失敗に終わります。
かといって、全て以前のように戻ったかと言うとそうではなく、
王権の弱体化により絶対王政から、やがて議会を中心とした
立憲君主制へと移行するようになります。

因みに、オリバー・クロムウェルは一度はその亡骸を
王及びその配偶者が眠るウエストミンスター寺院へとおさめられましたが
王政復古の後、その遺骸は掘り起こされ、
四半世紀晒されたそうです。それを見る羽目になった市民は大迷惑ですよね……。
今もウエストミンスター寺院には、クロムウェルの名前はそのまま
刻まれています。
※因みに、バンケティングハウスの様子はコチラ


■現在

そんな感じですったもんだしましたが、
何世紀も越えて、現在では世界中の聖公会のリーダー的役割を果たしつつ
ローマ・カトリックとも積極的に対話しはじめています。
また、女性司祭が叙任されるなど、時代に即して変化をしています。
※ただし、先にも書いたように女性司祭については賛否両論あり、
世界中の聖公会の中でも
採用するしないが分かれています。
また、そういった変化を厭い、カトリックへと移行する人も多く、
カトリック側でも受け入れています。

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